柔道連盟
ふじみ野市柔道連盟の沿革
1960年(昭和35年)の福岡町体育協会と同じくして福岡町柔道連盟(初代会長・郷亮二)が発足し、1963年(昭和38年)大井村体育協会発足後の1965年(昭和40年)に大井村柔道会(名誉会長・星野信吉/団長・小室宏/初代会長・新井邦夫)が結成されました。
その後、それぞれ発展した上福岡市柔道連盟(会長・出田康彦)と大井町柔道連盟(会長・小野沢良雄)とが、2006年10月の合併にともないふじみ野市柔道連盟(会長・郷秀樹)としてスタートしました。
柔道の創始者・嘉納治五郎師範
『柔術』
古代から格闘の技術を考えだしたことに始まり、無手あるいは短い武器を持って、無手あるいは武器を持っている敵を攻撃し防御する術のことをいい、平安時代に鎧組み・甲冑組み討ちなどの武術が組織立てられ、鎌倉時代以降に体系化して柔術と名付けられました。江戸時代から勢力のある武将が自己の領地を拡大する戦闘のための柔術から、心身を鍛練するための柔術へと変化していきました。
嘉納治五郎師範は、生まれつき体が弱かったため『柔術』を志し天神真揚流の道場にかよい、その後起倒流の指導を受け、その他の流派の伝書等を研究し、古来から伝わる日本柔術の長所をさぐり、天神真揚流の当て身・固め技、起倒流の投げ技をもとに創意工夫を重ね新しい内容の技術と理論を組み立てて術から道へと発展させ、明治15年(1882年)日本伝講道館柔道として創始されました。
講道館柔道の目的として「体育」・「勝負」・「修心」をあげています。
「体育」として投げ技・固め技・形などがあり、これらを調和的に練習することにより望ましい身体の諸機能を維持し、さらに強健にして有効な活用をする。
勝負」として攻撃の方法だけでなく、予期しない事故や危害を未然に防止するための護身についても普段から心身の修練の必要性を柔道から習得すること。
「修心」とは精神的な修養ということで、徳性を養う・智力を練る・勝負理論の応用をあげ、自他共栄・相助相譲・成己益世を揚げて物質的や経済的なものだけでなく、精神的や道徳的な行為の向上を目標としたもの。
『嘉納治五郎師範遺訓』
柔道は心身の力を最も有効に使用する道である。その修行は攻撃防御の練習によって身体精神を鍛錬修養し、斯道(しどう)の真髄を体得する事である。そうして是に由って己を完成し、世を補益するのが柔道修行の究竟(きゅうきょう)の目的である。
その後師範は、日本体育協会の創始と初代会長の就任、日本人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員として1938年のIOCカイロ会議に出席し、第12回オリンピック東京大会(第二次世界大戦のため中止)の招致に成功しましたが、帰国の太平洋上の氷川丸で79歳の生涯を閉じました。国内だけでなく自らの12回の外遊と、師範の多くの門弟の渡航によって世界への柔道の普及に努め、国際的な柔道へと発展させました。
柔道連盟の構成
道場・クラブ名 | 稽古日 | 住所 | 電話 |
孝道館 新井道場 | 日 | 大井1−5−29 | 261-0225 |
大井柔道クラブ | 土 | 大井総合体育館武道場2F | 263-6778(齋藤) |
小野沢道場 | 水・木・土 | 鶴ヶ舞1−17−7 | 264-6699 |
以上の4団体のクラブ・道場の幼稚園・小学生・中学生で構成され、礼儀作法からはじまり心・技・体の鍛練に努め、月1回の合同練習会で『良きライバル・良き仲間』として切磋琢磨し、毎年埼玉県大会で立派な成績を収め全国大会や関東大会に出場しています。